安息日礼拝vol.22 2020 MAR 16 「女」「名付け仕事」

 コロナウィルスが猛威を振るう中、悲しみや不安、怒りなどの思いの中にいらっしゃる方もおられると存じます。そのような人々ひとりひとりのお心をご存知の神が、あなたを顧みられるということを、神の人として宣言いたします。すべては御心故です。十字架の愛に、依り頼む者は幸いです。過ぎ越しの御業を讃美しましょう。

 さて、今日の安息日礼拝は18才以下は退場していただかなくてはいけません。私も18才以下は見れないように設定いたしますが、親御さんの端末で見ている18才以下人は、自主的に一時停止して、Rei Munakataチャンネルの他の番組をお楽しみください。
 まずはあなた方のために祈ってお見送りしたいと思います。

愛する創造主、唯一無二の神 あなたの尊い御名を讃美いたします。コロナウィルスによって、若者は行き場を失っています。しかし、これは貴方へ帰る道を、はっきりお示しになったのであり、貴方は若者の行き場をお奪いになったのではありません。苦しみ悲しむ人々があるこのコロナ事変の中、学校が休校になったことを、内心喜んでいる人もいるかも知れません。来週の安息日礼拝ではまさにその若さゆえに誘惑に負け堕落の第一歩を踏み出してしまった男女について学びますが、あの時もそうであったように、貴方はよくご存知ですので、気付きの光を若者の心に照らし当ててください。そして、本当の意味で、貴方の御手の中で、若者が成長し、貴方の中に留まり、喜びのなかで御国を迎えることができますように。

 若者のみなさん、貴方達を祝福いたします。平安のうちに、歩みなさい。今すぐこの動画を停止して、去ったあとも貴方達が主とともにあるように。

 さて、大人の時間です。
 先週、人間創造が実は二回あって、創造二日目に創造された人と、創造六日目に創造された人がいます、と申し上げましたが、それはそのとおりです。
 第二章は決して創造六日目のクローズアップではなく、創造二日目のクローズアップです。だから、まずは草木がない状況で始まったのです。
 今日の聖書箇所をお読みいたします。

ベレシート第二章18節~23節(フランシスコ会訳)
また神である主は仰せになった、「人がひとりでいるのはよくない。彼にふさわしい助け手を造ろう。」そして神である主は野のあらゆる獣と空のあらゆる鳥を土で形づくり、人の所につれてきて、彼がそれに何と名付けるか見ようとされた。人がそれぞれの生き物につけた名は、そのままそれらの名となった。人はすべたの家畜、空の鳥、野のすべての獣のそれぞれに名をつけたが、人にふさわしい助け手は見つからなかった。
 そこで神である主は人を深く眠らせ、眠らせている間にそのあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
 神である主は人からとったあばら骨を一人の女に作り上げ、人のところに連れてこられた。すると人は言った、
「これこそ、わたしの骨からの骨、わたしの肉からの肉。男からとられたのだから、これを女と名づけよう」。

1. 時系列
女が造られるシーンですが、これをきちんと、アダムを中心にして時系列に並べる必要があります。キリスト教という宗教団体や、男尊女卑に躍起になるユダヤ教という宗教が勝手にあやふやにした部分をもとへ戻していきます。
創造の第二日目からです。
・創造二日目 : 土塊に神の息吹をふきかけアダム(つちくれ)という
         男(イーシュ)ができる。エデンの園の東に置かれる。
         リリスと結婚(失敗)
・創造三日目 : 植物を食べ物に与えるとお約束になったので、植物が創造される。
         アダムは地を耕す
・創造四日目 : 天体がつくられて、アダムはそれによって時間を計り生活しはじめる
         アダムは地を耕す
・創造五日目 : 「人がひとりでいるのはよくない。」ので「助け手」づくり
         土で鳥、獣をつくる
         名付ける(本質を見極める)仕事をする。
         アダムが眠っているうちに、「女(イシャー)」をつくる。
         「これこそ!」
ここからは今回の聖書箇所には書かれていませんが、予告として
・ある安息日の終わり(午後) : 
         アダムと「女」は、「へび」の「誘惑」に負け、堕落
         「女」は「へび」と交わる
・ある第一曜日(夕暮れ時から夜にかけて):
         エデンの園を追放される。
・追放されたノデの地でのある日 :
         アダムは「女」と交わる


2. アダムの仕事
アダムは「地」を「植物が生える」ようにするため「地を耕すために」造られました。(ベレ02:05)
つまり、大地の人「アム・ハアレツ」です。「アム・ハアレツ」というのは、キリスト誕生の時にお話しましたが、労働者階級のなかでも、最も蔑まれ、人の嫌がる仕事に従事する「嫌われ者」「全うじゃない人」の総称で本来は「大地の人」という意味であるとお話しました。彼は、確かに労働するために造られましたが、この時は、労働者というのが、蔑まれるべきものなのではなく、むしろ、神に守られ特権を与えられた存在であることがわかります。この時のアダムには「恥じる」という感情リアクションは搭載されていませんので、労働は「労苦」ではなく、単に、神に与えられた役割だったのです。
彼の仕事は、耕すことと、名前をつけることです。

私はキリスト教系の学校に行っておりまして、その学校には「聖書」という教科があり、学びますが、聖書科の先生が、かなり、この部分を捻じ曲げて教えておられました。神はアダムが「ひとり」でいるのは良くないという理由から、鳥獣を造り、それらを名付けるという作業をアダムが随時していったはてに、「女」という存在を「女」とそこで名付けたことから、「名付ける」という行為を「交わる」という行為と解釈していました。どうやら、その牧師が所属している宗派ではそのように教えているみたいです。つまり、アダムのセックスの相手として、鳥獣を神が造り、アダムはその全てと交わってみたけれどダメでしたということなんです。
私は、神をマッドサイエンティストみたいに呼ばわるこの教義に、大いに反対です。
ちゃんと読めばわかるんです。
アダムと「女」が性交渉を行うのは、エデンの園を追放されたあとです。ベレシート4章1節に書いてあります。

さて、そのことよりも、少しこの言葉「助け手」という言葉に着目しましょう。

3. 助け手
 ヘブライ語で「助け手」のことを「エゼル」と言います。ヘブライ語原典では「向き合う者」「助ける者」として「彼女」を造ろう、と書いてあります。
   余談になりますが、この「エゼル」を名前としてつけられた人が何人かいます。エリエゼルという名前でこれは「神の助け手」、「神の救いの手」という意味になります。
 聖書で最もスポットライトを浴びた「エリエゼル」は、ベタニアで死んで四日目に、救い主イェホシュアによって蘇らされた人物です。この人物はギリシャ名の「ラザロ」で知れ渡っていますが、本名はエリエゼルです。実は、ヘブライズムの預言を紐解くのに、この名前をしっかり理解することはとても重要なことです。神は「言葉」ですから。名前に大変なこだわりを持っておられます。
 そして、もうひとり、「エリエゼル」という名前の人物で、聖書の中でとても重要な役割を果たした人が居ます。それはアブラハムの下僕の長で、イサクの嫁探しを託された人物です。彼の名前も「エリエゼル」です。プロテスタントはこういう神秘を完全に無視して、なんだか「良い人間になりましょうプロジェクト」集団になっていますが、これはとても貧相なことです。
 「神の救いの手」という意味である「エリエゼル」という名前の人が、イェホシュアの復活の予表として用いられたこと、そして、同じ「エリエゼル」という名の人が、信仰の父であるアブラハムの子、「イサク」の運命の伴侶「リベカ」を「井戸のそば」で見つけたこと。その事自体に預言的な意味があります。
 余談の余談になりますが、もう亡くなられましたが20世紀に生きた人物で「エリエゼル・ベン・イェフダ」という人物が居ます。この人物は忘れ去られたヘブライ語という言葉を「話し言葉」として復活させた人物です。「ベン・イェフダ」ということは、「ユダの子」という意味ですから、イスラエル(ヤコブ)十二氏族のユダの子孫ということです。

4. 名付けるという仕事
 ここで、ちょうど名前の話になりましたので、もう少しそのことについてお話したいと思います。
 アダムは地を耕す仕事の他に「名付ける」仕事を与えられました。これはとてつもなく重要なことです。これこそ、アダムに「地」のマネージング権が与えられたことを表しています。
 それまで、モノの名前をつけるという仕事は神が御業としてなさっていたことです。それを、アダムにお与えになりました。
 アダムの名前からわかるように、「名」は「本質」です。「土」は「バイオ」「命」です。知能をもつ最初の生命体(バイオ)として造られたアダムの実体を、アダムという言葉が表しているのです。
 名付けるという行為は、その「バイオ」物体に「生きるべき本質」つまり、「命」、「定め」を与えるという行為なのです。
 生命体は、その「名」を生きるのです。
 神は二日目にお造りになったアダムには「地」の統治権はお与えになっていませんが、マネージング権を与えられ、アダムを「万物の父」とされたのです。しかし、ここでやはり気づかなくてはならないのは「神はアダムがどう名付けるのをみておられた」というところです。
 万物の本質をお定めになるのは、やはり「主」たる神です。神はここで何を見ておられたかというと、アダムが、神の定めた「本質」を見極められるかどうかを確認なさっているのです。神はアダムのバイオリズムの中に「本質を見極める」という機能をデザインされ、その機能が正常に作動するのを、確認なさっていたのです。

5. あばら骨ではない
 さて、リリスとの結婚について、さっと端的に述べます。エノク書によると、アダムの最初の妻、リリスは二日目に造られた天使の一人です。アダムの妻として、アダムに二日目のうちに与えられます。しかし、ここで、今で言う「セックス」による掛け合わせが行われたかどうかは不明です。なにせ、掛け合わせてみたのですが、失敗に終わりました。
 リリスからは「怪物」がどんどん生まれていってしまったのです。「怪物」とは「邪悪」のことです。リリスはこれにより、子供が生まれなくなってしまいました。この「怪物」も当然、「人」の型をとっていますが、中にある「ドライブ」が「怪物」なのです。妖怪、モンスターの類ではありません。そして、当然ですが、これらの「怪物」はアダムよりも先に、「楽園」を出てノデの地で生きるようになります。つまり、地球にキャストされ、生きるようになっています(ちなみに、「追放する」は英語で「キャスト・アウト」)
 そんなこんなで、最初の結婚がうまく行かなかった故に、神は「助け手」リストのなかに「女」という存在を加えました。
 しかし、ここで、ヘブライ語の聖書と、翻訳された聖書にはちょっとした隔たりがあるのです。
ヘブライ語聖書ベレシート 2章21節~
 そして神はタルデマーを人の上に落とした。すると彼は眠った。そののち神はアダムの側面の部分を一部取った。そしてその代わりに肉を閉じた。
 そして神はアダムからとった側面の部分を女に組み立てた。

 肋骨ということばは一度も使われておらず、「側面」とあります。つまり、肋骨だけでなく、肉も取られたので、アダムは「女」を見て「わたしの骨の骨、肉の肉」と言ったのです。医学的に言うと、人間の脇腹部分というのは、人体を構成する細胞要素が揃っていて、クローン技術にも、用いるのはたいてい脇腹の細胞なのだそうです。
 「組み立てた」という動詞も、なんとなくですが、同じ動詞が出てくる詩篇139篇の感じからもわかるように、「培養する」というイメージがあります。
 神はアダムの脇腹の細胞を培養して、「女」を造ったのです。
 お待たせいたしましたが、「タルデルマー」についてお話しましょう。
 「深い眠り」と訳されている言葉なんですが、このタルデルマー現象を、神はよく御業を行われる時にご自分の民をこの状態になさいます。アブラハム、ヤコブはタルデマーを落とされて、イェホシュアと相撲をとっています、モーゼにもタルデルマーを落とされています。やたらタルデルマーをされて兄弟に嫉妬されるのは、ヤコブの息子のヨゼフです。 このタルデルマーは頻繁に起きるものです。 ただ「眠り」そのものではなく、眠りは「タルデルマー」の結果として起きる現象なのです。 タルデルマーとは、神の御業を行う時になさる、ちょっとした「トランス」導入行為なのです。

 来週の安息日ではいよいよ、「原罪」についてお話させていただこうと思います。来週月曜日の安息日の翌日、2020年3月24日(火)からは「ペサハ」「過ぎ越しの祭」をテーマにお話させていただきますので、ベレシートは一旦、おやすみいたします。
 それでは皆様、良い安息日をお過ごしください。
        

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