安息日礼拝 vol.19 2020 Feb 29 創造四日目

 前回の安息日礼拝で、息子がインフルエンザにかかったと申し上げたので、たくさんの方々から様子伺いや、お祈りしてくださっていることをお伝えいただくメールを頂戴いたしました。お祈りに感謝いたします。 神は本当に慈悲深い方です。発症から約一週間たっても、リョウはもともと、体が丈夫じゃないからだと思いますが、薬を摂ったにも関わらず熱がなかなか微熱いかにもならず、親子ともども初めてのインフルエンザに当惑しました。やっと2日ほど前に熱がさがり、治癒証明もいただきました。神様の癒やしをこころから賛美します。
 が、しかし、この引きこもり生活のなかで、私が感じたのは、一言で「感謝」です。病気をもらってるのに、感謝なんて変だと思われるかもしれませんが、我々をお造りになった神は、ご利益の神ではないのです。病気はたしかに大変ですが、全てを益としてくださる大きな大きな神なのです。私は息子のインフルエンザという試練の時を、息子と過ごしているのですが、本当に息子が愛らしく、病気で座るのも、寝るのも辛い時に、熱で潤んだ目で私を見ながら「ママにうつりませんように。苦しみが僕でおわりますように」と祈るんですね。私は最低最悪の人間なのに、こんな愛らしい子供の母親にしていただいて、いったい私はこれまでに、何をしてこのご褒美を頂いているのだろう、と感激しました。
 私たちの「問題」は、大抵の方がこんな話を聞いても「んな子供いるわけねぇだろ」と私が大げさに言ってるように思われるんです。でも、これは、なんと幸せな問題なんだろうと思います。
 この時の思い、感動が「キ・トーヴ!」「善しとした」ということなんじゃないかと思います。神が二日目に創造した「天使」たち以外の被造物に対して述べたコメントです。
 息子の朗らかさ、ひたむきさ、正直さを見ていると、なんでも「OK」って気になります。そして、神にとって「病気」は取り除くべき問題ではないのだと、改めて確信するのです。
 このインフルエンザという試練を、豊かに用いて、私達の信仰を支えてくださった神に感謝しています。

 さて、本題に戻りましょう。創造の四日目、フランシスコ訳「ベレシート」1章14節~19節

ベレシート(創世記)1章14節~19節
 次に、神は仰せになった、「天の大空に光るものあれ。昼と夜とを分け、季節と日と年を定める徴となれ。また天の大空にあって、地を照らす光となれ。」すると、そのとおりになった。神は2つの大きな光るものを造り、そのうちの大きなものに昼を治めさせ、小さなものに夜を治めさせ、また星も造られた。神はそれらのものを天の大空に置かれた。これは地を照らし、昼と夜とを治め、光と闇を分けるためであった。神はそれを見て善しとされた。そして夕べとなり朝となり、四日目が過ぎた。

 さて、前回にも申し上げましたが、ヘブライ人や中国のミャオ族はこの創世物語を一言一句違わず伝えることに、強いこだわりをもちましたので、文言はある程度保存された状態で、後世に伝えられました。しかし伝えてきた口々の主は、これを自分たちが見て知っている地球上の「空」ととらえて伝えたのでしょう。無理もありません。
 しかし、しつこいようですが、この日までで、天やら地やら言ってる「地」は地球のことではないんです。なぜなら、この日初めて、地球が造られたのですから。
 ただ、ひとつ言えることは、この地球という星で起きていることや存在しているものは、ベレシートで創造された「世界」から、まるで「実体」の「影」であるかのように投影されているということです。
 そして、まだ、安息日を20回も過ぎていないのに早くも「ド結論」を言うようですが、神の「計画」「意図」とは、このベレシートに描かれていいる「世界」と、「アレツ」、私達が住んでいるこの「地球」でのことが、「再び」一体化することなのだと思います。
 それは、まさしく、地球規模、宇宙規模の計画でもありますが、私達個人個人の人生規模でも、細胞規模でも同じように、「一体化計画」が進んでいるのです。神の「ご計画」は、まるでマトルーシュカのようなものです。規模はちがっても、「計画」の法則、シナリオは変わらないのです。
その法則とは「愛の法則」である「生命の樹」(セフィロト)であり、生命の樹は、神へ続く唯一の「道」つまり、キリストそのものです。

 ここで「大空」というのは「隔たり」の部分です。そこに、天体を配置されましたが、その中に地球も含まれるのです
 しかし、この「隔たり」の部分というのは、いわゆる中立地帯というもので、「不可視」の性質(霊質)ももち、「可視」(物質)の性質も持っているわけです。そこに、ある地球も含めた天体の数々は、霊質と物質、両方でもあるのです。
 さて、先日私は、ひょんなことから、「フラットアース」という概念に出会いました。「宇宙からの映像」として私達に報道されている球体の物体が浮遊する風景は、実はNASAによる捏造で、この地球は実は平面なのである。という考え方です。
 私は、この考えに対して正直「どちらでも良い」と考えます。神を知る民は、聖書にかかれていないことは、大切なことでないので、それがどうなのかと思い煩うべきではありません。フラットアースでも、ぜんぜん構いません。球体でも構いません。聖書には地球が平であるとも、球体であるとも書かれていないのです。よって、私にとって、これらはどちらでも良いことです。もし球体ならば、「捏造」という犯してもいない罪をNASAに着せることになり、これは十戒に反する大罪です。神の民が心配するべきむしろそちらであって、謙虚になるべきだと思います。
 最重要ポイントは、この地球を含め、この世にあるあらゆるものを、神がお造りになったということを知り、創造主たる唯一無二の神、エロヒーム・エハッドを賛美することです。
 
 


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