安息日礼拝 vol.23 2020 MAR 23 「原罪」「女」と「へび」
本日は2020年3月23日、KJJK第23回の安息日礼拝へようこそおいでくださいました。 私には10歳の息子がおりまして、一人で育てているわけなのですが、子供のお友達のお母様がたを見ていると、危うくて頭を抱えてしまうことがあります。 去年のちょうど今頃、こういうお母様がいました。私の息子が行っている小学校は私学なのです、当然授業料が発生します。しかしながら、私も息子もこの学校が大好きです。先生が全員素晴らしいプロフェッショナルで、このクオリティーを維持するためなら、どのような貢献も惜しまない。そのように思っています。確かに厳しい規律がありますが、息子も私も聖霊の内住を受けておりますので、どのような善行も苦ではありません。タブーも規律も、私達の信仰生活を脅かさない限り、まったく問題ないのです。ある日、先程申し上げたお母様が先生に文句を言いに行ったのです。おっしゃりたいのは、規律が厳しすぎる、ということなのです。早い話、彼女のお子さんも、だらしなすぎて規律が守れず怒られるからだと思います。そこで、彼女は学校に話をしに行きました。「この学校は7年も経ってるのにキレイすぎる。私の兄はコロンビア大学。みんなノビノビしている。子供たちはノビノビ育つべき。なんでも壊せばいい。校長先生はお金持ちなんだから、校長先生が出せばいいし、私もお金は持っているから言ってくれれば、いつでも弁償する。」と、副校長に言ってきたそうです。 私は椅子から転げ落ちそうになりました。この方は中国、香港の方なので、後半部分「私はお金持ってるから、弁償はする」という言い方をなさいましたが、日本人のママたちはそういう言い方はしないでしょう。しかしながら、往々にして、現代のママという人種は「ノビノビ」という言葉を取り違えています。「自由と勝手」をとりちがえ、「アリノママとワガママ」を取り違えているのです。 実はこれこそ今日のテーマとしてお話する「原罪」から来ているひとつの「なれのはて」なのです。 今日は聖書をお読みするのではなく、「原罪」の物語を「事件ファイル」としてうけとって、当事者たちの言動を検証していきたいと思います。 皆様それぞれで、該当する聖書箇所をお読みいただけたらと思います。創世記3章1節から25節です。 楽園にいるアダムと、かれの助け手として造られた「女~イシャ~」がいま...