安息日礼拝vol.18 三日目

神の創造の三日目が訪れます。
ベレシート1章9節~13節(フランシスコ会訳)
次に、神は仰せになった、「天の下の水は一か所に集まれ。そして乾いた所が現れよ」。するとそのとおりになった。神は乾いたところを「地」名づけ、水の集まったところを海と名づけられた。神はそれを善しとされた。また神は仰せになった、「地は草木で青くなれ。種をもつ草と、種を実を結ぶあらゆる種類の木で地の面は青くなれ」。するとそのとおりになった。地は草木を、すなわち種をもつあらゆる種類の木とを生じさせた。神はそれを見て善しとされた。そして夕べとなり朝となり三日目が過ぎた。

 この日の「地」も「地球」ではありません。
 「水」はやはり、「原始の命の塵の海」です。
 しかしながら、モーゼが記したとされる、この「ベレシート(創世記)」、モーゼもヘブライの民に伝えられた事を記したのだと思います。彼ははじめエジプト人として生活していたので、この創世の経緯はアロンたち兄弟から学び、書き記して、後世に残そうとしたのでしょう。問題はアロンやモーゼたちは、この経緯をあくまでも自分たちが住んでいる地上の創造物語だと思っていただろうということです。しかし、ヘブライの民は口頭伝承をとても大切にする民族で、一言一句違わず伝承してきたのです。しかしながら、そのことの意味が本当に分かっていたかどうかはとても疑問なのです。
 聖書を認めていない人には馬鹿げたことのように思われるとおもいますが、この伝承の出どころは、間違えなくアダムとイヴァです。彼らの息子であるセトは彼らから、自分たちが創造された時の物語を聞かされ、セトの子孫たちはそれを語り継いできたのです。ヘブライの民はセトの子孫です。アダムとイヴァは自分たちの実体験を子供に語ったのですが、子孫たちは楽園の目撃者ではないので、自分たちの分かる範囲で解釈したはずです。しかし、神は、この時代に生きる私達に事実を伝えるために、ヘブライ人を頑固な民にプログラムなさいました。彼らは「一言一句違わず」伝えることに異様なまでのこだわりをもっている民族です。おかげで、私達は、この創世物語の真実を見ることができます。
 「地」と訳されているところは、やはり、「地上」を表す「アレツ」とは違います。やはり、「エレツ」なのです。「ヴァ・エレツ」と書かれていますが、これは「その地」という意味です。「ヴァ・エレツ・イスラエル」という言葉がありますが、これは「イスラエルの地」という意味で、土地というよりは、「帰るべきところ」「祖国」となります。人は死して土に還りますから(帰る)、この「エレツ」は霊の祖国であるということです。
 このシリーズの初日でも申し上げましたが、創造の六日目に創造される「人」と、ベレシート第二章で創造される「人間」は別物です。そのことはもっと詳しく述べますが、ここでもそのことが判るのです。アダムは「土(ヘブライ語でアダーム)」から造られたのでそのように名付けられるのですが、神がアダムを創造なさった時、その「地」は草木はなにもなかったと書いてあります。あれ?と思われた方もいるでしょう。私もその一人です。なぜなら、二章の「地」と一章の「地」が同じものなわけがないのです。神は三日目に地に「青くなれ」と命令され「そのようになった」のです。アダムが創造されたのが六日目だったら、そこはすでに青々としていたはずです。なにもなかったわけがないのです。
 ここで創造された「木」がいわゆる私たちが毎日目にしている樹木ではありません。たとえば、カバラーにも出てくる「生命の樹」これをセフィロトとヘブライ語では言いますが。イヴァが選ばなかった方の木で、こちらを選んでいたら、楽園を追放されるハメにはならなかったのです。セフィロトが造られたのが、この三日目のことです。このセフィロトは、なんとなく「愛の摂理」なんじゃないかな、と私は思うのです。そして「善悪を知る木」は「理屈による摂理」、私はこれを瞑想している時に「右脳」と「左脳」を思い浮かべました。しかしながら、まだまだ、瞑想しなければ、私には掴みきれない真理でもあります。
 当然、この時創造された「果実」も私達が今日食べているフルーツではありません。これは象徴です。当然「種」もそうです。聖書全体を通して、「果実」は人間の体を象徴していたり、民族を象徴していたりします。「種」は、男性機能を表していたり、罪を表していたり、転じてストレス物質だったりします。
 忘れてはならないのは、これは目に見える世界、物質世界に造られたものなので、全てが「可視」の世界のハズです。「海」はあくまでも生命の源であり、聖書において「乾いたところ」が何を表すかと言えば、どちらかと言うと、「荒野」だったり「試練」だったりします。しかし、同時にそのような「荒野」に人があるときにこそ、神に繋がる「道」たる「生命の木」を見出すのではないでしょうか。
 この三日目は私もまだまとめきれていない、創造ステージです。ですから、謎めいたキーワードだけを投げつけておいて、中途半端に終わるしかないのです。おりしも、この動画を用意しているこの時、息子がインフルエンザを発症していて、安息日に間に合いそうもありません。少なくとも、スライドを用意することはできないでしょう。
 皆様が、ご理解くださるよう、主におとりなしをお願いしたいと思います。同時に、息子が一日も早く回復するように、そしておそらく私も近い内に感染するでしょうから、その試練が豊かに用いられ、無事に回復できますよう、そのこともお祈りくださると大変幸いに思います。

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