安息日礼拝 Vol.7 ハヌカに思うメシアの民「角」
宮を清める
「宮を汚す」というのがどういうことなのかを書きました。今回はいよいよ、「宮を清める」というのがどういうことなのか
書きたいと思います。
1.イホシュアの宮きよめ
救い主イホシュア(イエス・キリストの本名)の「宮きよめ」と呼ばれるところがあります。マタイ21:12~13に書かれているエピソードです。
それからイェシュアは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた「こう書いてある『わたしの家は、祈りの家と家と呼ばれるべきである。』ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている。」これは、ハヌカの時期ではありません。エルサレムに入城した直後のイェシュアの行動です。ハヌカではないのですが、このエピソードを人々は特に「宮きよめ」と呼んでいます。イェシュアとアンティオコス4世の行動が、対極的性質を持ちながらも同じであったことからわかることがあります。それは、ヘブライズムは「二元論」では絶対ありえないということです。二元論というのは簡単に言うと、「ヒーローイズム」のことです。ヘラクレス、ペルセウス、ピグマリオン…、スーパーマン、スパイダーマンにキャプテン・アメリカ…ヘレニズムにはたくさんのヒーローがいて、「悪」と戦います。日本で言うと水戸黄門の世界です。勧善懲悪の世界というのは、単純でわかりやすく、人間は誰しも、この世界が二元論であってほしいという願望を抱いています。自分が「悪い行い」さえしなければ、大丈夫だという安心が得られるからです。しかし、神のイズム、「ヘブライズム」では二元論はありえないのです。サタンという存在と悪魔ルシファーを同一視しがちですが、たとえ、それが真実であったとしても、忘れてはならないのは、悪魔ルシファーは「神の子」の一人であり、しかも最も美しい王子であっただけでなく、堕天使となり天国から追放されたあとも、神の子として、他の神の子たちとならんで、創造主エロヒームの前に立っているのです(ヨブ記1:6~12)。ですから、今流行りの「ビビデバビデブー」な異言とやらを唱えながら悪魔祓いしている、奇跡派の人たちは、自分たちこそが試みの最中にあることに気付かなくてはならないのです。 ヘレニズム=ヒーローイズムです。イェシュアとアンティオコス4世がエルサレム入城直後の行動が同じであったことは決して偶然ではなく、預言です。堕落に対し、神は必ず厳しい裁きをお下しになるということであり、そして何よりも、それがどのような形であろうと、その全ては唯一絶対の創造主たるエロヒームがなさる行為であるということです。ちなみに、ヒーローイズムという言い方は、英語読みであり、言語読みにすると「エロイズム」です。ヘレニズムはエロイズムとイコールなのです。お心にお覚えください。
キリスト教徒たちが、「宮きよめ」と呼ぶこの時のイェシュアをご覧ください。そこに描かれているイホシュアの姿は、柔和とは程遠く、怒り狂いながら、ムチをふるい神殿に建てられたくだらない屋台(生贄用の動物を売っていた)や、両替商をひっくり返し、憤怒をあらわにしています。
これは終末の時、イェシュアの再臨に置いても同じことがおこるのですが、マカバイも同じでした。憤怒とともに、剣をふるい徹底して、エピファネスが汚したものを、破壊し「神殿」にふさわしくないものを排除したのです。
イェシュアはマカバイとおなじように、堕落に対して、憤怒で応えたのです。
2.神殿とは
宗教というものに対し、罪に対し、徹底して断固たる態度をとった、イホシュアとマカバイ。しかし、これは、例えば、仏像を破壊せよとか、仏壇を捨てろ、という意味ではありません。イホシュアは人としては「ユダヤ教徒」でした。彼が破壊したのは、しかしながら、ユダヤ教という宗教活動の「実情」だったのです。この破壊が象徴するのは、キリスト教を含むあらゆる宗教活動の排除です。しかも、物理的な破壊行為を促しているのではありません。何度も述べましたが、聖書において、歴史はらせん状に関連しながら連続していくのです。「神殿」とは、私たち、神の民個人のことです。周りを見てください。12月25日をヘレニズムのお祭りに置き換え、クリスマスとして祝っています。ヘレニズムで、神殿が清められたこの大切な歴史的事実と真実を覆い隠してしまったのです。その結果、何がおきていますか?このクリスマスとやらは、最大のビジネスチャンスになっていませんか?
これに対して、イェシュアが怒っていないと思うなら、その人は聖書を心の目で読んでいないのです。
3.神が「神殿」を受け取られるということ・・・
ハヌカとは、神殿の中にあるあらゆる「偶像」「宗教性」そして罪に対して、憤怒で対処し、破壊し、そうやって清められた「神殿」をもう一度、神にお捧げする、そんな祭です。このクリスチャンのヘレニズムによって、勝手に「無価値」とされたハヌカの時、神は現代に生きる私たちに課題を投げかけているのです。私たちに、ハヌカは必要ないですか?
いいえ。神が直接お命じになっていないにしても、ハヌカの祭に託された預言は
生きています。ハヌカは確かに神が守るようにお命じになった「例祭」ではありません。それでも、神がこのハヌカに託された預言は私達にとっても有効なのです。 なぜなら、神はエルサレムに再び入城なさいます。その時に堕落に対して厳しくさばきをくだされるのだということを、すでに行いをもって宣言しているのですから。
私たちは私たちという「神殿」を清めて、神にささげなくてはなりません。
神は、必ず受け取ってくださいます。そうした神殿こそが、御国の基礎なんです。ささげられた神殿を神は豊かに用いて下さり、私たちを通してご栄光を示してくださるのです。
4.終末の宮清め
その1 荒廃をもたらす憎むべき者の再来
そろそろ、お気づきだと思いますが、人間が無意識に覆い隠してしまった、ハヌカは、終末預言の一つの型です。人間の弱さの表れです。クリスチャンと自分を呼んでみても、熱心に毎週毎週教会に通ってみても、実は、キリストの再臨を待ち望んではおらず、むしろ、もっともっと遅れてほしいと思っているのです。
ですから、ハヌカを直視できないのです。
マカバイ戦争は、この世の終末で繰り返されるわけですが、実はもう、始まっているのです。
すでに、マカバイ記の中で出てきた、「荒廃をもたらす憎むべき者」という言葉で、長く「クリスチャン」として生活しておられた方は、ピクンとくるはずです。
アンティオコス4世は祭壇に「荒廃をもたらす憎むべき者」を置いたのですね。祭壇とは、神と人とのコミュニケーション・スペース、私達の魂の奥底にある神と己の大変親密で、不可侵の場所に、彼が置いたのは「ゼウス」像、ヘレニズムの全能神を置いたということです。信仰対象の置き換えが行われたということです。ゼウス像はずばり、イエスのことです。何度も言いますが、キリストの名前は「イエス」などではありません。イホシュアです。そして「イエス」はイホシュアのギリシャ語翻訳の日本語読みでもありません。イホシュアのギリシャ語訳はヨシュアです。「イエス」という名前が何を意味しているかわかりますか? ヘブライの民にとって、「本」「書」というのは暗号的要素を持つものです。モーゼ五書がその証拠です。旧約聖書の最初の5つの書のタイトルは言語では、それぞれの書の最初に用いられた言葉です。それを5つつなげると、こういう一文ができます「はじめに、荒野で呼ばれた名は、ことば」。 みなさん、これをふまえて、詩篇109:13を読んでください。これは呪いの言葉です。
その子孫は断ち切られ、次の世代には彼らの名が消し去られるようにこれを原語、ヘブライ語で表すとこうなります。 皆さんにもわかりやすいように、英語のアルファベットで表します。
Yemach Shemo Wezichro
頭文字を表している文字を取り出します。「Ye」「Sh」「W」これをつなげると「Yeshu」(ヘブライ語において、「W」と「U」は同じ文字)「イエス」です。日本人にはこのことを証する義務が与えられています。なぜなら、1549年にフランシスコ・ザビエルによって日本にはキリスト教がもたらされました。かれはバスク人です。ラテン語の「Yeshu」の読みである「ジェスー」 で伝えたうえに訛っていたはずです。ですから、一部の日本人には「ゼウス」と聞こえてしまい、キリストの名前を「ゼウス」と呼んでいた人々も居るのです。
つまり、今「キリスト教」と呼ばれている宗教は単なるヘレニズムの宗教に過ぎず、イエスというゼウス偶像を崇めているのです。意味していることが同じだったら良い。本当にそう思いますか?あなたの罪のために、拷問をうけ十字架にかかって死んでくださった方の名前を呪いの名前で呼ぶのが、愛の行為ですか?よく考えてください。
たしかに、キリスト教もたどり着きたいところは、メシアの民と同じなのです。しかし、イエスは、イホシュアの影に過ぎず、神が我々に求める信仰態度は、御顔をまっすぐに仰ぎ見ることです。影を崇めることではありません。以前にも言いましたが、「影」に着目するのは「イデア論」、プラトンの哲学です。プラトンはギリシャ人です。ヘレニズムです。イデア、Ideaと偶像、Idolの語源は同じです。私達は今こそ、顔を上げて、神の実体を直視しなくては行けないのです。終わりの時に起こるのは、ヘブライズムとヘレニズムの戦争です。あなたは、本当に、「イエス」などという偶像のために、ヘレニズム側に留まるおつもりですか?
この「荒廃をもたらす憎むべき者」という言葉には、イェシュアも触れておられます。マタイ24:15です。これは終末の印として語られた御言です。
預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が聖なる場所にたつのを見たら―読者は悟れ―
とあります。ダニエル書11:31からはじまって、ダニエル書に度々登場する「荒廃をもたらす憎むべき者」のことです。
まず、ダニエル書はマカバイ戦争よりも400年ほど前に書かれたものであり、マカバイ戦争は、ダニエル書の予言(ここでは、預言というより、予言です)の実現です。ぴったり重なっているのです。
キリストは終末の時にマカバイ戦争の様相が繰り返されると宣言なさった…
ここで螺旋状に繰り返される歴史において、「=」で繋がるものをつなげておきたいのですが、
ダニエル「荒廃をもたらす憎むべきもの」=マカバイ戦争ゼウス像崇拝=イェシュアの終末預言「憎むべき破壊者」=キリスト教という偶像崇拝です。
もうひとつ、「イコール関係」を整理しなくてはならないダニエル書のキーワードがあります「獣」と「角」です。
「獣」は「国」を象徴しています。「角」はその獣から伸びるものなので、「人」あるいは「国家」を表します。これは、ダニエル書8章の20節以降に、夢の解き明かしとしてそのように明記されているのです。
ダニエル書8章をご覧ください。
そこには、雄羊と雄山羊というのが出てきます。それぞれの動物が国を象徴しています。まず、雄羊というのは、ペルシャ(今のイランのこと)ですその雄羊から二本の角というのは、ペルシャが、メディアとペルシャの連合だったことを意味しています。
そして、5節から、雄山羊というのが出てきます。「西からやってくる雄山羊」というのは、ギリシャ帝国のことで、「この雄山羊には目と目の間に著しく目立つ一本の角があったとあり」、これはアレクサンドロス大王のことです。この雄山羊が雄羊に近づいて討ち滅ぼすとありますが、これはアレクサンドロス大王による、ペルシャ帝国の滅亡の事です。
このギリシャ帝国たる雄山羊は非常に高ぶるのですが強く成った時にに、ポキっと「著しく目立つ角」が折れてしまいます。アレクサンドロス大王の急死のことです。
ここで、皆さんに、私が覚えておいていただきたいと申し上げたことを、思い出していただきたいのですが、ギリシャ帝国はアレクサンドロス大王の死後、四人の側近に分割されたということです。
ダニエル書8章8節には、ポキっと「著しく目立つ角」が折れたあとに、「4本の際立った角が生えた」とあります。ギリシャ帝国が四分割されたことが示されているのです。
そして9節です。「そのうちの一本から、もう一本小さな角が生え出て」とあります。ギリシャ帝国を四分割したうちの一つ、セレウコス朝シリアから台頭した、アンティオコス・エピファネスのことです。
ダニエル書8章9節以降のことは、そのまんま、まさにマカバイ戦争のことです。
ダニエル書11章21節以降には、さらに詳細にマカバイ戦争のことが予言されています。
「巧言令色鮮し仁」という言葉が、孔子の論語の学而のなかにあります。口語訳聖書ではアンティオコス・エピファネスが「甘言を用いて」と表現されていますが、訳によっては「巧言を用いて」と表しています。アンティオコス・エピファネスに懐柔された者たちの言葉が巧みであったので、ユダヤの人々は彼らを信じたと、マカバイ記にあります。
イェシュアは、終末の時にマカバイ戦争の再来があると予言したわけなのですが、つまり、アンティオコス・エピファネスが再来し、ヘレニズム宗教が本当の信仰と入れ替えられるということがおこる、ということなんです。かつてのヘレニズムの中心地であったギリシャ帝国が四分割されたわけですが、終末においてもヘレニズム国家の四分割が発生するということです。私はヘレニズム国家というのが時代によって変わっていっていると言いました。ギリシャから、ローマ帝国へ、ローマ帝国から大英帝国へ… みなさん、イギリスはどうなりましたか?今英語を公用語とする国は、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア(ニュージーランド)と4つに分かれていますね。そのうちの一つがすごく強くなるのです。それは当然アメリカのことを言っています。
さらに、この事の詳細が使徒ヨハネに示されました。ヨハネの黙示録の内容を紐解くのに、ダニエル書が不可欠です。
ヨハネの黙示録13章には「獣」が二匹登場します。黙示録に登場するこの「獣」もアメリカのことです。この根拠にはエゼキエル書の預言も兼ね合わせて、私としては確信をもって言えることなのですが、今回はひたすら黙示録に集中したいと思います。
一匹目の獣は海から上がってきています。ヨーロッパからアメリカへの植民が開始された時、人々は海を渡っていきました。そして、この獣は竜(サタン)から権威を与えられて、人々はこの獣を比類なきものとあがめて服従するのです。
いま、実質的にアメリカ以上の強国があるでしょうか?たしかにロシアは強いですが、それでも、アメリカほどの同盟力はありません。
黙示録には、この獣に大変な発言力が与えられて、さらに、神を冒涜する言葉が与えられるとあります。世界最大のキリスト教国です。「んなわけない!」と思われるでしょう。 しかし、私は「イエス」という名の意味を明かすことにより、世界最大のキリスト教国がアメリカだったからこそ、神の御名が汚されるという暴挙が実現したことを論証しました。
プロテスタントの牧師はみな、アメリカ頼みです。宣教師のほとんどがアメリカ人です。
イェシュアによれば、終末の時、アメリカから一本の新しい角が生えるとあります。アンティオコス・エピファネスは、首都エルサレムを復活を宣言した最後の「トランペット」と同一の存在かも知れませんし、次に来る「王」なのかもしれません。いずれにしても、アンティオコス・エピファネスの再来というのが、アメリカ合衆国大統領であることだけは確かです。
さて、クリスチャンの皆さん、これでも、ハヌカではなく、クリスマスを祝えますか?
まずは、ご自分の宮清めが実現しなくてはいけません。神のむちと怒りを魂に受け取るのです。あなたの、神殿、祭壇を清め、神に捧げてください。
実り豊かなハヌカをお過ごしになりますように。
ハヌカについて質問の在る方は、お気軽にinfo@michelisanti.comへお問い合わせください。

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