安息日礼拝vol.13 くぎ

先週は、「キリストがおこなった、とされる数々の奇跡は虚構、勘違いなのではないか。」という疑問に対し、キリストが自身の裁判え、拷問の末なかなか死ねない十字架刑に処せられるかもしれない局面を重々に承知し、「嘘だった。自分はメシアではない。」と言いさえすれば命は助かったのにも関わらず、無言で甘んじて刑に服している姿から、キリストが行った奇跡の数々は、本当であった、と考えるのが自然であるというお話をしました。今日は、この裁判で「人間の弱さ」を体現してしまった二人の男、その他の弟子たちの行動を通して、実在したナザレのイホシュアという人物が、事実として聖書にかかれてある奇跡の数々を行ったのだということを、もっと深く確認していきたいと思います。

1.ユダ
 キリストを裏切り、銀貨30枚で売り渡したことで有名な人物です。
 彼はどうして、そんなことをしたのでしょう。キリストが彼にとって「期待ハズレ」だったからです。人は勝手に期待するものです。先週も言いましたが、キリストはこの時、スーパースターでした。ローマの圧政に苦しむイスラエル人は、ユダヤの王となり、イスラエルをローマから独立させる政治的なリーダーとしての「メシア~救世主~」を熱望したのです。しかし、神が与えた「救い」はその人間の勝手な熱望に応えるものではなかったのです。イホシュアは、政治にはまったく関与しませんでした。政治的な発言をするどころか、「ローマのものは、ローマに返しなさい。」と言いながら、請求された税金をきちんと払ってしまったりしています。
 ユダはがっかりしたことでしょう。彼は会計を担当していて、ちょっとちょろまかしてしまったのです。会計を任されていたというのは、彼は仲間内でも有能な人間と認められていたのでしょう。お金を横領してしまった彼に悪気はあったでしょうか?なかったのです。キリストならば、彼がちょろまかした何十倍ものお金を集めれるだろうし、その気になれば、金持ちたちにキリストを王にするために全財産を寄付するように命じることだってできる。キリストが王になれば、自分がちょろまかした分など微々たるもので、まったく問題ない。彼はそう思っていたのです。
 しかし、私もそういう人間だったので、よくわかりますが、その期待が裏切られた時、自分のしたことは棚にあげて、それも含めたすべてが自分の期待を裏切った「カリスマ」が悪いんだと思い込むのです。だから、彼は銀貨30枚を受け取った時、自分を正当化することができたのです。
 彼の末路も有名です。キリストの死後、彼は自殺しました。「私は無実の男を死なせてしまった。」そう言って、首をつって果てたのです。「無実」と言っていることに注目してください。彼は会計を任されるほどに、使徒たちの中で影響力を持っていました。もし、新興宗教の献金稼ぎのためにトリックのあるまやかしの奇跡を行っていたのならば、おそらく彼こそがその中心にいたのです。「嘘だと正直に言えば助かったのに、バカなやつだ。」と、いうだけで済んだのではないでしょうか?ところが、彼は自殺したのです。それは、ナザレのイホシュアが正真正銘、「冒涜罪」という罪状に対し潔白であった、つまり、神であり、行われた奇跡が真実だったから、自殺するまで追い込まれたのです。

2.ペテロ

 次に、キリストが逮捕されたその時の彼の行動をご覧ください。
 キリストを逮捕しようとするイスラエルの神殿の憲兵たちに、刃を向け、耳を削ぎ落としてしまっています。
 皆さんは思うでしょう。これほど熱心な信者だから、奇跡を捏造するくらいやってのけるだろう。オウム真理教の時もそうだった。宗教にかまける人間は、献金ほしさに奇跡を捏造して人を惑わし、信者として洗脳していくものだ。・・・そのとおりです。宗教というのはそういうものです。今でも、例えばトーベン・ゾンダーガード率いるTLRです。簡単なトリックを使ってまやかしの「癒やし」を見せ、TLRというカルト集団に引き入れていくのです。ただ、彼らに「カルト」の自覚があるかといえばそうではなく、キリストの神性を証するために、あるいは、信仰のきっかけを与えるために、奇跡を捏造することも厭わない…そういうことなのでしょう。
 宗教を拒否している人間ならば、そこのところはハッキリ見えるのですが、かつての私を含めて心が弱く絶望している人間は、簡単に陥れられてしまうのです。
 「まっとうな人」は言うでしょう。ペテロたち、キリストの使徒もその類なのだ・・・。しかし、そうではありません。
 まず、逃げているからです。ペテロだけではありません。あれほど熱心に「死をもいとわず!」と宣言していた使徒たちなのに、ヨハネ以外は全員見事にキリスト逮捕の直後離散して逃げているのです。
 これは、有名な「雄鶏とペテロ」のシーンです。裁判にかけられているキリストを目の前に、ペテロはキリストを三度「知らない」と言い、自分はキリストとは関係ないと言っています。 これが、人間の自然な姿です。
 しかし、キリストの死後、11人の使徒たちはこっそりと戻ってきています。キリストの死後一度は離散したものの、どうしたらいいかわからないから、戻っては来ますが、彼らは自分たちの身も危ないから、今すぐ逃げよう!と相談するのです。そこへ、女性たちが「キリストが復活した!」と言いに来るわけです。
 また別の機会にもっと詳しく、述べますが、この復活が作り話だったら、女性ではなく、男性、おそらく、ペテロあたりを「復活の最初の目撃者」として設定したでしょう。当時のユダヤ社会において、女性の地位は低く、女性の言うことなどだれも取り合ってくれません。しかし、キリストの復活を最初に目にしたのは、マグダラのマリアであり、イホシュアの母マリアたちで、最後に男たちなんです。ユダヤ人の思考回路で、作り話をしようと思ったら、ペテロが最初に見たと言ったほうが信憑性があるわけです。しかし、最初に目撃したのは女達で、それから男たちも復活のイホシュアを見て、一緒に食事をしたりするのですね。
 これが、仮に新興宗教のプロパガンダで、虚構だったとしましょう。みなさん、では何のためにでしょうか?
 新興宗教が嘘をつくのは献金のためです。カトリック教会も免罪符を売るために「輪廻転生」を否定しました。献金をいっぱい集めて、自分たちがリッチに生きるために虚構の伝説をでっちあげるのです。
 しかし、この後、弟子たちはどうなりましたか? ユダの死のために、11人になった使徒ですが、ステファノという若い男性がその補充として使徒に加わります。使徒とはキリストを見てキリストと話をし、キリストのそばで声を聞いた生き証人です。ステファノを始めとする12人の弟子がどうなったかご存知ですか? ヨハネ以外は全員、拷問にかかって処刑されたり、殺されたりするのです。そして全員、「キリストと同じ運命を歩める」と喜んで刑に服しているのです。こんなことのために、虚構をでっちあげるのですか?
 キリストのした奇跡が嘘だったら、キリストが逮捕され十字架にかかった時点で、彼らは離散し、キリストの使徒は解散、その教えはもうそこで、ねじ伏せられたでしょう。
 彼らは、戻ってきて活動を続けたら、キリストと同じように苦しい思いをして殺されることを知っていたから、その後も逃げる相談をしていたのです。
 でも復活のイホシュアをその目で見て、復活したイホシュアと触れ合ったから、その後宣教活動などという暴挙にでたのです。 常識で考えたら、やめておくんです。
 その後、だれかがリッチになりましたか? 奇跡ごっこをして儲けようぜという輩はいたんですよ。しかし、それを断固として拒絶し、全員貧しいまま、あるものは逆さ十字架にかけられ、あるものは生皮をはがされ、それぞれ残忍な手段で殺されています。案の定です。彼らはそれを分かっていたのに、敢えて宣教活動を始めたのは、一重に、キリストの復活を本当に目撃したからにほかなりません。
 さて最後に私は、イホシュアという名前に隠されたもう一つの奇跡を皆さんにご披露したいと思います。
 みなさん、イホシュアは真実の救い主です。救い主だから十字架にかけられたのです。彼は貴方の罪を癒やし、滅びの運命から救うための唯一の「道」なのです。キリスト教は嘘です。そのような、私達のために十字架にかかった救い主を「イエス」などという名前で呼んでいる時点でもうアウトです。「しらないだけ?」そうです。しかし、神はご自分の民には知るようにプログラムされるのです。救い主の名前はイホシュアで、そのようにお呼びしなくてはならないのです。
 この時、人々はイホシュアを「十字架にかけろ!」と言っています。通常十字架刑というのは両手を広げた形で縛り、両足は束ねて縛ります。そうやって、長い時間かけて窒息死させていくのです。 しかし、ここで、イホシュアは、ローマ人の判断で、両手足を釘で打たれてしまうのです。当時のローマ帝国は、ギリシャ語を公用語としていました。そして口語原語としてラテン語があったのです。しかし、どこを属国にしても、その国の原語を学ぼうなどとはしないのです。ましてや、属国の信仰、預言など気にもかけません。
 さて、ヘブライ語の文字はそれぞれ、象形文字であるフェニキア文字に対応しています。
 イホシュアの名前をヘブライ語で書くと、こうなります。
 そして、これを一文字一文字、対応しているフェニキア文字になおすと、こうなります。
 一文字ずつご覧ください。
 つなげるとこういう意味になります。「見よ、手を、釘を、見よ」となるのです。
 ユダヤ人がナザレのイホシュアを「イェス」などという名前にしたかった理由はこれです。ユダヤのエリートたちにとって、イホシュアが待望のメシアだったら困ったことになってしまうのです。自分たちの権威を失ってしまうから。だから殺すことにしたのです。しかし、殺すのに時期を選ぶ余裕がなかったことと、殺すことをローマ人にゆだねてしまったことで、なんと救い主「イホシュア」の名前に託された預言を実現させてしまうという、皮肉な現実がおきてしまったのです。

 ある時、私はあるご婦人にお会いしました。
 神様が私に伝えたいことを、そのご婦人にお預けになったのです。私は毎日、おそらく最低でも15分おきに「貴方の真理を理解させてください。もっと、私に教え、語りかけてください」と、生きた御言の具現化を強く祈っています。文字通り、祈り続けています。神は私の祈りに、いつも必ず答えてくれるのです。その方はアンチキリストです。彼女は言いました。「私は、世の中のいろんな問題は、白人がイエス・キリストを偶像礼拝したことから始まっていると思う。私は、八百万の神がいても良いんじゃないかと思っている。」一言一句違わず、そうおっしゃいました。
 まず、その方の「つもり」を考えてみましょう。「一神教にこだわる西洋社会の傲慢が戦争を起こして、アジアやアフリカを苦しめてきた。」そういうことがおっしゃりたいのです。ます、申し上げますが。まったく、この方のおっしゃるとおりです。西洋社会が「キリスト教」を浸透させるために、という大義名分をたてて世界を戦争に巻き込み、制服してきました。それが事実ですし、正直に告白しますが、それも神のご計画のうちなのです。世界の果てまで、神の御言が届くよう準備されたのです。ただ、彼らが携えていたのは「神の真理」のパッチもんであって、本物ではありません。人工ダイヤのようなものです。八百万も神がいたら、ローマ人もそうでしたが、あと一人ぐらい神が増えたって許容できるものですし、自分の都合の良い神様を信仰しておけば良いので、そのほうが寛容で、平和なのだと思えるのでしょう。
 しかし、その方を通して神はある真理を語られたのです。
 人間があくまでも、自分の利益を優先し、ご利益を神に求めるのです。「八百万の神」がいても良い、と人間が神に許可を与えるのです。そんな弱っちいのが、神であるはずがないのです。「宗教選択の自由」とは一見、素晴らしいシステムです。しかし、神をアイスクリームの味を選ぶように、人間の好みで選ぶ?そんなものが神などであるはずがありません。
 八百万の神がいて、本当にいいんですか?あんな身勝手で、未熟で気まぐれな、人間と対して変わりない自我を持つのに、妙な力を持つ神が八百万もいて、本当にいいんですか?そもそも、神に担当地域や担当業務があるなんて、陳腐だとおもいませんか?
 もちろんいてい良いですし、聖書もそれらの神々の存在を否定していません。むしろ、いるんでしょう。もっと言えば、人間が存在を許す限り、それらの神々は影響力あるエネルギーとして在り続けるのです。
 しかし、たとえ彼らが在ったとしても、彼らには貴方を救う力はありません。そこが問題なんです。この世のすべてを創造した神がハッキリ宣言しているのです。キリストという門を通らなければ、救いはない。と。 イスラム教の始祖も仏教の始祖も、自分は人間だと言っています。神を宣言してこの世に生まれ、神として生き、神として人間を救うために拷問にかかって死んだのは、ナザレのイホシュアだけです。ブッダは普通に床の上で死にました。ムハンマドはどう死んだのか伝えられてません。おそらくたいしていい死に方はしなかったのでしょう。だから伝説にすらならなかったのです。
 もし使徒たちが伝えたことが嘘八百であったら、パウロがローマについた時点で握りつぶされていましたし、貧しい弱い民衆が命をかけて伝え守るわけがないのです。
 八百万の神が貴方を罪故の滅びから救ってくださるなどという伝承はありますか?
 終わりの日が近づいています。今までそういう予言がまことしやかに囁かれることは何度もあった。そうおっしゃるでしょう。申し上げておきますが、あれらの予言なるものは、キリストとは無関係の人間が言っているのです。今回は私達、神の民が証言します。聖書において、終わりの時に起こるとされている兆しが次々に起こっています。
 これは私個人の考えですが、世の終わりは5年以内に起きます。
 ご年配の方は、ああ、私はその前に死んでるわ、とおっしゃるかもしれません。世界の終わりで果てようが、その前に果てようが、真理はかわりません。死後は永遠の世界が待っています。人間の意識というのは永遠に生きるのだと、ある科学者も言っています。私もそう思っています。しかし、どんな永遠を生きるのかという問題なのです。みなさん、イホシュアは「永遠の滅び」から皆さんを救おうと今も呼びかけているのです。滅びは一瞬の出来事ではありません。
 「永遠の平安」を私達が取り戻すために、キリストは命を捧げ、痛みを受けたのです。

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