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1月, 2020の投稿を表示しています

カハル一歩前進

重要な変更を施すよう、示されましたのでお知らせいたします。 ペサハ(過ぎ越しの祭)を機に、カハルの集いを、もう一段アップさせます。 会衆として、ヴァーチャルに実際に集いたいと思います。 まずは、カハルの友を集いたいと思います。 これは教会員とは少し違います。 互いに生活や営みを気にしあい、支え合い、神を礼拝するエクレシアです。 家族、と言いたいところですが、その一歩手前の隣人同士 そんな感じです。 めざすのは、神の前で一つの家族となること。 <「カハルの友」概要> ◎会員登録制です。 ◎信仰を励まし合う会です。 ◎未来永劫どのようなことがあっても「宗教法人」だけはとりません。 資格: ◎これまでのメッセージ動画に賛同し、応援してくださる方に限らせていただきます。◎Youtubeチャンネルに、チャンネル登録していただいている方 活動内容: ◎ 安息日ごとに ハングアウト というアプリを使い、限定公開のメッセージを共に視聴します。 ◎考えを分かち合ったり、思いを交換したりします。 ◎カハルの友は祈りの課題を共有し、共に祈ります。 ◎皆様の証なども分かち合ってくださると、とても嬉しいです。 カンパ: 毎月のカンパをお願いします。 棟方の聖書の勉強を応援して専念できるように支えていただきたいのです。 私の衣食住を支えるために使わせていただきます。 決して、遠くの可愛そうな子どもたちに寄付されるのではありません。 棟方が一時間でも多く聖書を読み解けるように、衣食住の費用の一部を支えて頂くお金です。 ◎ 一ヶ月、 一口1,000円 から、あとはお志でけっこうです。 そして、銀行ふりこみのみです。 もちろん、たとえば、Youtubeなどの活動が軌道にのったら、このカンパは、イスラエルからラビを招聘する費用に回します。 ペサハ以降、安息日礼拝のメッセージ動画は、安息日、「友」たちにまず分かち合われ、それから公開されます。 カハルの友となってくださる方は info@michelisanti.com へ、御名前、お住いの都道府県、そして、動画メッセージの感想などを添えて、送信してください。 一回、ヴァーチャル集会に参加していただいてから、カンパの振込先を送らせていただきます。 カハルの友: ヴァーチャル集...

安息日礼拝 vol 14 愛する人と呼びたくて

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庚子年が明けました。  神がアジアに定められた新年にあたり、皆様にご健康と祝福が豊かに与えられますよう、心を尽くしてお祈りいたします。ようこそ、KJJKの安息日礼拝へ  今日は元旦  この元旦の過ごし方と、神が安息日に私達に求めている過ごし方は大変にかよっています。  安息日、神は人に、あらゆる仕事を休止し、女たちも煮炊き掃除をしてはならず、ただひたすら家族で主を礼拝することを命じておられます。  年末に大掃除をするのも、おせち料理、お雑煮などの正月料理のシステムも、すべて女性を休息させるためのものです。意外と男の人が仕事を休む方が簡単にできるものです。しかし、女性の仕事はそうは行きません。私の仕事がいわゆる「ガチ女性の仕事」だと思うのです。私はプロの母親です。我々女性は、なかなか休めないものです。  神は究極のフェミニストです。安息日に火を使うことを禁止したのは、女性も男性に変わりなく安息日をまもり、主を礼拝できるようになさっているのです。  主を礼拝する・・・というのがどういうことなのか。  これをある女性の姿を通して見てみたいと思います。 1.ベタニアのマリア  ルカ10:38~42をご覧ください。  前々回の安息日礼拝のメッセージで、一瞬だけ、ベタニアという村についてお話しました。このベタニアという村はエルサレムから南東約3キロのところにあるのですが、イホシュアにとって、この村は育ったナザレ、生まれたベツレヘム、そのほかエルサレム以外のどの町にも増して特別な意味を持った町です。まず、イホシュアが洗礼を受けたのもこの村です。復活してから、昇天したときにもベタニアにいました。つまり、ベタニアこそが、初臨のキリストが最後に踏んだ土地なのです。洗礼、処刑、昇天・・・まるで生涯の大切な新しい局面に入る前に、チェックポイントであるかのように、イホシュアはベタニアの地を踏んでいます。しかし、イホシュアにとってこの村を特別にならしめたもの。それは明らかに、このベタニアに住むマリアの存在があったからです。  また、爆弾発言をしてしまいますが、イホシュアが結婚していたらなにか不都合があるかのように言うのがキリスト教という宗教団体ですが、イホシュアは結婚していたと考えるのが一番妥当です。イスラエル社会を知っているならば、当然結婚しているのです。神...

安息日礼拝vol.13 くぎ

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先週は、「キリストがおこなった、とされる数々の奇跡は虚構、勘違いなのではないか。」という疑問に対し、キリストが自身の裁判え、拷問の末なかなか死ねない十字架刑に処せられるかもしれない局面を重々に承知し、「嘘だった。自分はメシアではない。」と言いさえすれば命は助かったのにも関わらず、無言で甘んじて刑に服している姿から、キリストが行った奇跡の数々は、本当であった、と考えるのが自然であるというお話をしました。今日は、この裁判で「人間の弱さ」を体現してしまった二人の男、その他の弟子たちの行動を通して、実在したナザレのイホシュアという人物が、事実として聖書にかかれてある奇跡の数々を行ったのだということを、もっと深く確認していきたいと思います。 1.ユダ  キリストを裏切り、銀貨30枚で売り渡したことで有名な人物です。  彼はどうして、そんなことをしたのでしょう。キリストが彼にとって「期待ハズレ」だったからです。人は勝手に期待するものです。先週も言いましたが、キリストはこの時、スーパースターでした。ローマの圧政に苦しむイスラエル人は、ユダヤの王となり、イスラエルをローマから独立させる政治的なリーダーとしての「メシア~救世主~」を熱望したのです。しかし、神が与えた「救い」はその人間の勝手な熱望に応えるものではなかったのです。イホシュアは、政治にはまったく関与しませんでした。政治的な発言をするどころか、「ローマのものは、ローマに返しなさい。」と言いながら、請求された税金をきちんと払ってしまったりしています。  ユダはがっかりしたことでしょう。彼は会計を担当していて、ちょっとちょろまかしてしまったのです。会計を任されていたというのは、彼は仲間内でも有能な人間と認められていたのでしょう。お金を横領してしまった彼に悪気はあったでしょうか?なかったのです。キリストならば、彼がちょろまかした何十倍ものお金を集めれるだろうし、その気になれば、金持ちたちにキリストを王にするために全財産を寄付するように命じることだってできる。キリストが王になれば、自分がちょろまかした分など微々たるもので、まったく問題ない。彼はそう思っていたのです。  しかし、私もそういう人間だったので、よくわかりますが、その期待が裏切られた時、自分のしたことは棚にあげて、それも含めたすべてが自分の期待を裏切った「カ...

安息日礼拝vol12 キリストはなぜ殺されたか

前回の続きで、未信者の方々のためのメッセージです。 1.キリスト・イホシュアが実在したかどうか? 2.実在したとしても、聖書なる書物に書かれているイホシュアのしたこと、言ったことは全部ウソなのではないだろうか? 3.貴方がアジア人ならば、その外国人イホシュアが「貴方の神」であるのかどうか? 4.そもそも、神は存在するのか? この4つの問題点のうち、4について、先週はおはなししました。 今日は、1と、先週お読みしたマタイの福音書27章のエピソードを通して2について考えてみたいと思います。 まず、キリスト・イホシュアは存在したのか。 イエス・キリストなるものは存在しませんでしたが、イホシュアというキリストは存在します。聖徳太子は存在しなかったが厩戸王(うまやとおう)は存在した、というのと同じです。 イエスはヘレニズム人が造った偶像です。実在したのは、ナザレのイホシュアと呼ばれた人物で、彼は現実として生身の体を持ってこの世に在りました。このことは、聖書以外の歴史書物にも書かれていることから、歴史を勉強した者として実在の人物だったと断言します。  問題は、それよりも、2の「実在したとしても、聖書なる書物に書かれているイホシュアのしたこと、言ったことは全部ウソなのではないだろうか?」という疑問です。  この疑問に答えるべく、このナザレのイホシュアの裁判をみてみましょう。  この、当時の政治背景をきちんと把握していきましょう。  この時代、ティベリウス帝が治めていました。ローマはアフリカを属州とし、そして、イスラエルも支配下に治めていました。ヘロデ大王と呼ばれた王の息子、ヘロデ・アンティパスは王というよりも、領主に成り下がり、彼はローマが許す限りの統治しか認められていませんでした。 イスラエルは完全に、ローマの属州だったのです。  だから、この裁判のシーンにローマ人ピラトの姿があり、彼が裁判長として裁決を下そうとしています。 イホシュアを殺そうとしているユダヤ人たちは、バルコニーの下で野次を飛ばすばかり。決して決定権が在るわけではありません。  実は、イホシュアがここにしょっぴかれていることそのもの、そして、イホシュアの権威失墜を目指しているはずのユダヤ人が十字架刑を求刑していること、さらにいうと、ローマがこの300年ほどあとに、キリスト教を...

安息日礼拝 vol.11 ナザレ人の裁判

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今回から数回に分けて、未信者の方たちのためのメッセージを配信したいと思います。 マタイの福音書27:11~26 さて、イホシュアは総督の前に立たされた。総督がイホシュアに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イホシュアは「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。 ところで、祭の度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。そのころ、バラバ・イホアシュアという評判の囚人がいた。ピラトは、人々が集まってきたときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イホシュアか。それともメシアといわれるイホシュアか。」 人々がイホシュアを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。 一方ピラトが裁判の席に着いている時に、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イホシュアを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアといわれているイホシュアの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」叫び続けた。ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は我々と子孫にある。」そこでピラトはバラバを釈放し、イホシュアを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 これは、キリスト「ナザレのイホシュア」の裁判の様子です。 皆さんが「イエス」と呼んでいる人物の本名がイホシュアです。 これから、皆様にこのイホシュアという「人」が神であるという真理について、お話します...